ディーン(仮)のブログ

大学時代の思い出を書きなぐっています

文章を書くのに「鬱感」はめちゃくちゃおいしいスパイス

朝、めちゃくちゃ鬱だ。

 

この世界にただ1人で生きているような、

初めて子宮の中から出てきて、この世界に絶望しているときの

ようなそんな気分にさせられる。

 

僕には本当の意味で目覚めのよい朝などない。

 

そして、そんな気分だからこそ僕はめちゃくちゃ文章を書きたくなる。

 

朝起きてからいつの間にか変わってしまうこの気持ちを忘れないように、

自分の中でこのもやもやをしっかり記録しておけるように

しっかり書き留めておく。

 

僕はこの「鬱感」が嫌いだ。

そして、そんなことにはお構いなく部屋に入ってくる明るい陽射しも嫌いだ。

 

だけど、僕はこの「鬱感」のおかげで文章を書けている。

今日もだだっ広い部屋からただ一人文章を書き続けている。

 

つれづれ日記

暇になったので書きたいように文章を書く。

この1年は僕の周りの状況が目まぐるしく変わった。

退職する前(1年前)に行った占い師によると、僕は退職してから

運勢がうなぎのぼりによくなるということだったが、正直まだその気配はない。

多分考え方次第ということだろう。

人の運勢とか人生とかいうものは簡単に占えるものではないし、本来そういったことに対して言及することで何らかの影響が出る気がするのだがいちいちそんなことを考えていたら占い師という職業は務まらないのだろうとも思う。

そして塾講師の職業も少なからず、同じことが言える。

確かに勉強を頑張ってやっていい高校、いい大学にいくに越したことはないだろう。僕は確実に早稲田大学を卒業したことの恩恵は受けているし、少なくとも卒業して後悔したことはない。

しかし、いい高校やいい大学という選択肢を深く考えずにそれをただ単にいい道だからと進めることがもしかしたら悪影響を及ぼしていることもあるのだ。

例えば、僕は大学附属の男子校に行った。大学附属に行っとけば将来大学受験で後悔することはないという親の助言から面倒くさがり屋だった自分は深く考えずに、その選択肢を選んだ。しかし、今となっては高校で共学という道を選ばなかった後悔と、大学受験にチャレンジしてみてもよかったのかもしれないという後悔がある。そして、あろうことか、親も大学受験をさせればよかったとか後悔している。

人は少なからず後悔してしまう生き物だと思う。

生徒を見ていても選んだ学校で後悔をしてしまっている子をよく見る。大抵は受験をもっとうまくできてれば違う学校にいって違う人生を送れたのにというものだ。

僕はここでもっともらしいことをいうつもりはないのであえて身も蓋もないことを言うが、確かに自分が進む環境次第で人生は変わる。

でも自分が100%自分の意志で選んだ選択肢、見栄ではなく、自分が純粋にしたいことや人で選んだ場合は後悔が少なくなるのだと思う。

そして、置かれた環境で自分が好きなことに没頭できたとき、それがその人にとっての充実になるのだと思う。

もちろん、さまざまな要因で没頭できなくなってしまうことはあるだろうし、そもそも好きだと思っていたことが好きでなくなることもあるかもしれない。

でもそれが自分にとっての気づきであれば、また違うことを探し、前に進んでいけるのだと思う。

一番つまらないことは何のために生きているのかがわからず、ただ日々に身をゆだねている状況だ。

僕は学生時代はそれがいやでいやでしょうがなかった。

だから常に何が自分にとって大切なことなのか、自分が没頭できるものは何なのか常に探し続けてきた。

それが僕にとって「教育」だった。

いまはその「教育」業界に身を置いている。教育業界と一口にいってもさまざまな仕事があるということを学べた。1社目は50個の教室の経営管理をする、いわば経営コンサルという仕事を行った。だが、自分にとって実際に手を動かさず、頭の中で想像だけで論理を組み立てていき、具体的なアドバイスをするのは至難の業だったし、この中で自分は埋もれていくんだろうなと直感的に分かった。何より、入社1か月で自分はこの会社に合わないということを悟ってしまった。そこからの1年間は苦痛でしかなかった。

年功序列で自分のアイディアを通しにくく、会議でもどんどん声がちいさくなっていった。毎日行くのが苦痛でお腹をしょっちゅう壊すようになった。

そして、1年がたち、4月になり僕は上司に退職を申し出る決意をする。その前にコンサルではなく教室運営をやらせてもらいたいという打診をし続けていたが、それも断られたからだ。

僕が教室運営をやりたいといったのには理由がある。

1つ目は朝から晩までパソコンとにらめっこしている仕事に自分の目が耐えられなくなっていたからだ。強度の近眼でなおかつドライアイであることが目の状態を悪化させ、内斜視まで引き起こしてしまった。

2つ目は先ほども書いたように僕は実際に手を動かしてから考えるタイプだからである。先のことや実際に自分で体験していないことをうまく想像することができないのだ。教室業務を行えば、むしろだれよりも教室長たちの力になれる自信はあった。

だが、あっけなく自分の希望は砕かれてしまった。もう自分にはこの会社に残る理由が見当たらなくなってしまった。毎日誰にどのように伝えたら穏便に退職できるかを考えた。あるときは退職届だけだして逃げようかとも思った。何度も検索欄に会社 2年目 辞める と打って検索した。

辞めるのは恐怖だった。

          →→→→→→→→続く

目が覚めたら僕はいつもの僕に戻っていた

いつも 同じ夢を見る。

 

夢の中で僕は中学、もしくは大学の卒業式の少し前に戻っている。

 

大学の卒業式の前では僕は単位が足りなくて、中学の卒業式の前では全校生徒の前です

るスピーチができていないことに焦っていた。

 

そのどちらも冴えない僕だった。

夢の中のぼくは常に何かに追われて焦っていた。

 

まるで現実の焦燥感がそのまま夢に持ち込まれたようだった。

 

朝起きて一瞬 僕は自分が中学生なのか、大学生なのか、社会人なのか

分からなくなる。

 

でも数分経って気づく。

いまここにいるのはまだ精神的に卒業できていない24の僕だということに。

 

目覚め

最近、いや昔から朝起きるときはあまり気分がよくなかった。

 

その理由がパートナーがいないことなのか、もしくは、いまの仕事に不満を抱えていることなのか、それとも過去にいやな出来事があったからなのかが分からない。

 

ただ、現状に十分満足できていないということだけは理解できた。

 

僕は今年の6月、前の会社をやめた。

すごい名の通った会社というわけでもないが、安定して、世間一般から見ればそれなりにホワイトな会社であることは間違いなかった。

 

だが、僕は何の変わり映えもなく、やりがいのない日々に嫌気がさしていた。

あるときは朝ずっとトイレにこもり、ひげダンディズムの「ノーダウト」を繰り返し聞き、ひたすら会社のことを考えないようにしていた。

 

あるときは、会社に行くのが嫌すぎて、仮病をつかって休んだ。

 

僕は病院に行った。「過敏性腸症候群」と診断された。

 

いま思えば地獄のような日々だった。

 

入社当初からあの仕事が自分には完全に向いてない、必ず、もっと自分に向いている仕事はあるということは感じていたが、いまここでやめたら、自分は負け組になるし、周りの人に迷惑をかけてしまうとおもっていた。

 

しかし、二年目の4月私はついに決心をした。

上司にいまの会社をやめたいと打ち明けた。

 

上司の反応は意外なものだった。

僕が、いまの仕事に向いてない、実際に直接子供に教える仕事をしたい、入社当初から思っていたということを言うと、

そうやって自分がしたいことを明確にもっていることはほんとうにえらい。

つらいかもしれないが、ぼくは藤岡くんを応援する。

とどまれとは言わないし、君の人生だから君が決断しなさいと背中を押してくれた。

 

あのとき、僕は、会社選びは間違えたが、本当にいい上司に巡り合えたのだと悟った。

すばらしい人がいる会社なのだと改めて感じた。

 

そして、僕はやめることにした。

すごい勇気のいる決断だった。

 

お世話になった先輩に電話で退職を伝えた時は沈黙が続いた。

そして、一緒に仕事をしたときはほとんど話してもらえなかった。

あの時ほど苦痛なことは人生でもう二度とないのだろうと思う。

 

僕は先輩の好意を裏切ったのだ。

 

 

 

そこからは日々がとてつもなく早く過ぎ去っていった。

何かをすると本当に決断し、周りもそれを受け入れると

本当にスムーズに事が進む。

 

ほとんどの人はいままでどおり接してくれたし、退職まで僕も時々は笑って過ごせた。

本当はつらかったけれど。

 

そして、退職の週の飲み会で局長は暴れた。私の2個上の先輩は僕を哀れに思ったのか泣いてくれた。女性の次長も泣いていた。

 

飲み会が終わった際に「いままで苦労かけてごめんね。」と言われた。

苦労かけたのはこっちのほうだった。

だれも得していなかった。

会社のミスマッチが双方にこんな不利益をもたらすとは思っていなかった。

 

でも僕は、入社当初、半年くらい次長が楽しそうに話しかけてくれたのを覚えている。

それも次長になるまでだが、あのときは楽しかった。

 

よくも悪くも役職は人を変えてしまう。

局長や周りのいい年した男達から数字の管理の件で厳しく、責められ、本来の性格のよさがなくなってしまった。

日に日に目つきが鋭くなり、周りの人と気軽に話さなくなった。

そして、前にもまして愚痴が多くなった。

役職と仕事と環境は人を簡単に変える。

 

僕は人の上にたつような人間になってもああはなりたくないと思った。

ああなってはいけないのだと。

 

そして、そうなってしまったと自分で気づいたときには

動かないといけない。打開策を見つけないといけない。

 

1つの環境にしばられてしまっていることが彼女をがんじがらめにしてしまっているのだ。

 

もちろん1つの環境でがむしゃらに働くことは悪いことではない。

しかし、あの環境にいて、ほかで役にたつスキルはなにか。

コンサルスキルとマネジメントスキルというたいていの人間にとって代替可能な(しかもうちの会社は特殊なため、汎用可能というわけでもない)スキルである。

 

いざとなればやめるという選択肢がないことが(いや、まじめさとプライドが邪魔をしている)会社をさらに悪いものにしている。

 

僕は、一人の声より何人も会社を退職していくことのほうが会社をやめるきっかけになりうると思っている。

 

それは退職して、2か月たって、社員の方からいただいたメールに書かれていたことだった。

僕の決断が会社を変えたのだと。

 

あの言葉に僕は救われたのだ。

退職後、仕事に没頭し、ほとんど前職のことを気にかけていなかったが心につかえるものがあった。それが、あの1言だけで、私は自分にだけでなく会社にとっていい決断をしたのだと思えるようになった。

 

だが、しかしまだ胸の中はもやもやしている。

仕事が変わっても、まだ僕の欲求不満はとれない。

 

だがこれだけは言える。

物事は確実にいい方向に進んでいる。

それは僕が自分でしっかり決断して、行動に移せたからなのだ。

そして、その行動は世の中の大多数の人間にとって難しいことなのだ。

 

僕は自分の決断と今の生活と仕事が本当に素晴らしいものだと思う。

 

しかし、この状態では満足できない。

現状維持をすることは後退することである。

 

早く、独立し、完全に自分の意志で仕事をすることができる環境を

僕は作っていく。

 

 

 

ディーン シェアハウスに引っ越す(インド人うまぴ編)

下総中山のシェアハウスに引っ越した。

 

シェアハウスは初期費用がほぼかからない(5万円程度)で月6万円程度で住める。

(下総中山 相場7万円)ことから速攻で決めた。

 

そして、同居人との出会いにも淡い期待を抱いていた。

なんといっても男女共同のシェアハウスなのだ。

 

友達に可愛い子いるんじゃね?って言われた時も平静を装い、

まあ期待できないだろなんて返したが、めっちゃ期待していた、本当は。

 

まあ、そんなこんなで6月25日ごろに内見して6月28日に即入居確定。

少しは不安もあったが、現在社宅に入っているところがを6月28日退去にしてしまったため、あんまりのんびりもしていられなかった。

 

入居した日にあったのはインド人の「うまぴ」。

さすが、インド、名前もめずらしい。

 

職業はエッチな動画制作とのこと。(真偽は定かではない)

 

 

「いつもお世話になっております」と返したら爆笑された。

一応ジャパニーズジョークは通じるらしい。

 

監督は?ってきいたら、監督って何?って真顔で聞いてきた後、

グーグル翻訳で即座に意味を調べ、

「アー、監督も兼任しているヨ。メイレイスルノタノシイヨ。」

 

…。

 

 

「チガウ、ソコチガウ、モットミギ、

 

イーねー」

 

 

うまぴの監督モノマネを聞きながら、

入居初日からとんでもない逸材と出会ってしまったと感じた。

 

まあ、とりあえず、うまぴにまじめに職業の話をするのはやめとこうと思った。

 

恐るべきうまぴ。

そして、このうまぴなんとおれの部屋の隣に住んでいる。

 

うまぴの「アホーニューワー」(アラジンの歌)を聞いたときは

思わず、笑ってしまった。

 

ただで聞いてしまうのが申し訳ないぐらいの美声である。

 

動画制作やめて歌手になればいいのにと思ったがこれも口には出さなかった。

 

 

会社を辞めた

6月末で僕は会社を辞めました。

 

端的にいうと長かった…。

この1年ちょっとで大学4年間分の濃さがありました。

 

どんだけ、大学4年間が薄っぺらかったんだよって話ですが。

 

思えば、大学4年間は暇で暇でしょうがなかった。

それと比べれば、毎日何かしらのやることがあり、お金が入ってきて

行動範囲が広がる社会人は悪くないことのように思えました。

 

そして、普通では知り合えないような事業主とも出会えましたし、

一般的な社会人生活がどういうものかも学べました。

 

でも端的に言ってそれだけです。

人は自分が行ってきたことをよくも悪くも正当化していきます。

私もいままでの1年間が無駄だったといえば、自分の決断を否定しているような気がしてあまりいい気分ではありません。

でも、もう今更過去を振り返ってぐちぐちいうのは何の生産性もありませんが、

もっと自分にとって正しい道で効率よく努力をできていたのではないかとも思います。

 

今後は選ぶ道をさらに慎重に選択し、正しい量努力していければいいなと思います。

 

でも迷惑をかけましたが、私を育ててくれた会社や周りの人たちには感謝しようと思います。

 

本当にありがとうございました。

 

そして、よくやった、自分。

 

社会人になって思うこと

晴れて社会人になって3か月がたった。

 

短いようで長い期間だったと思う。

同時に自分にとっては本当に試練の期間だった。

 

この3か月で何度いらだちにさいなまれたかわからないし、

何度入社前に言ってたこととちゃうやん!と思わされたかわからない。

 

まあ、この3か月、必死でくらいついていった自分に

おめでとうといいたい。

 

よく頑張ったよ、ほんとに。

まだ楽になれないけど。

 

これからもいろいろな困難に立ち向かうことになるだろうけど

とりあえず、今はあまり深く考えずゆっくり休みたい。

 

といっても休む気はおきないんだけどね。

 

とりあえず、就活生だった自分には社会人ってほんとに

甘くないんだぞ!と喝をいれたい

なんとなくわかっていたことではあったけど。

 

そして、大変なこともあるけどそれ以上に大変なことを

乗り越えたときの喜びとか、日々の充実感とかは

学生時代の比にならないものではあると思う。

 

陳腐な言葉だけど、日々なにかしら成長していると気づく。

社内業務から宴会の幹事にいたることまできっと将来に

役に立つだろうと信じてやっている。

 

そう信じてやりぬくことがいまは大切だと思う。