ディーン(仮)のブログ

大学時代の思い出を書きなぐっています

つれづれ日記

暇になったので書きたいように文章を書く。

この1年は僕の周りの状況が目まぐるしく変わった。

退職する前(1年前)に行った占い師によると、僕は退職してから

運勢がうなぎのぼりによくなるということだったが、正直まだその気配はない。

多分考え方次第ということだろう。

人の運勢とか人生とかいうものは簡単に占えるものではないし、本来そういったことに対して言及することで何らかの影響が出る気がするのだがいちいちそんなことを考えていたら占い師という職業は務まらないのだろうとも思う。

そして塾講師の職業も少なからず、同じことが言える。

確かに勉強を頑張ってやっていい高校、いい大学にいくに越したことはないだろう。僕は確実に早稲田大学を卒業したことの恩恵は受けているし、少なくとも卒業して後悔したことはない。

しかし、いい高校やいい大学という選択肢を深く考えずにそれをただ単にいい道だからと進めることがもしかしたら悪影響を及ぼしていることもあるのだ。

例えば、僕は大学附属の男子校に行った。大学附属に行っとけば将来大学受験で後悔することはないという親の助言から面倒くさがり屋だった自分は深く考えずに、その選択肢を選んだ。しかし、今となっては高校で共学という道を選ばなかった後悔と、大学受験にチャレンジしてみてもよかったのかもしれないという後悔がある。そして、あろうことか、親も大学受験をさせればよかったとか後悔している。

人は少なからず後悔してしまう生き物だと思う。

生徒を見ていても選んだ学校で後悔をしてしまっている子をよく見る。大抵は受験をもっとうまくできてれば違う学校にいって違う人生を送れたのにというものだ。

僕はここでもっともらしいことをいうつもりはないのであえて身も蓋もないことを言うが、確かに自分が進む環境次第で人生は変わる。

でも自分が100%自分の意志で選んだ選択肢、見栄ではなく、自分が純粋にしたいことや人で選んだ場合は後悔が少なくなるのだと思う。

そして、置かれた環境で自分が好きなことに没頭できたとき、それがその人にとっての充実になるのだと思う。

もちろん、さまざまな要因で没頭できなくなってしまうことはあるだろうし、そもそも好きだと思っていたことが好きでなくなることもあるかもしれない。

でもそれが自分にとっての気づきであれば、また違うことを探し、前に進んでいけるのだと思う。

一番つまらないことは何のために生きているのかがわからず、ただ日々に身をゆだねている状況だ。

僕は学生時代はそれがいやでいやでしょうがなかった。

だから常に何が自分にとって大切なことなのか、自分が没頭できるものは何なのか常に探し続けてきた。

それが僕にとって「教育」だった。

いまはその「教育」業界に身を置いている。教育業界と一口にいってもさまざまな仕事があるということを学べた。1社目は50個の教室の経営管理をする、いわば経営コンサルという仕事を行った。だが、自分にとって実際に手を動かさず、頭の中で想像だけで論理を組み立てていき、具体的なアドバイスをするのは至難の業だったし、この中で自分は埋もれていくんだろうなと直感的に分かった。何より、入社1か月で自分はこの会社に合わないということを悟ってしまった。そこからの1年間は苦痛でしかなかった。

年功序列で自分のアイディアを通しにくく、会議でもどんどん声がちいさくなっていった。毎日行くのが苦痛でお腹をしょっちゅう壊すようになった。

そして、1年がたち、4月になり僕は上司に退職を申し出る決意をする。その前にコンサルではなく教室運営をやらせてもらいたいという打診をし続けていたが、それも断られたからだ。

僕が教室運営をやりたいといったのには理由がある。

1つ目は朝から晩までパソコンとにらめっこしている仕事に自分の目が耐えられなくなっていたからだ。強度の近眼でなおかつドライアイであることが目の状態を悪化させ、内斜視まで引き起こしてしまった。

2つ目は先ほども書いたように僕は実際に手を動かしてから考えるタイプだからである。先のことや実際に自分で体験していないことをうまく想像することができないのだ。教室業務を行えば、むしろだれよりも教室長たちの力になれる自信はあった。

だが、あっけなく自分の希望は砕かれてしまった。もう自分にはこの会社に残る理由が見当たらなくなってしまった。毎日誰にどのように伝えたら穏便に退職できるかを考えた。あるときは退職届だけだして逃げようかとも思った。何度も検索欄に会社 2年目 辞める と打って検索した。

辞めるのは恐怖だった。

          →→→→→→→→続く