ディーン(仮)のブログ

大学時代の思い出を書きなぐっています

暇な大学生はボランティアをしよう! 僕がボランティアを勧める理由

 

   先日、福島のほうに植栽ボランティアをしに行ってきました。

正直、いく前は本当にめんどくさかった。

ほぼノリで応募し、前日は「うわあ、応募しなきゃよかった…、めんどくせぇ」

状態でした。

 でも、振り返ってみると本当に行ってよかったと思っています。

自分はどちらかというと「ボランティアっていくだけむだじゃね?自分のために時間投資すべきでしょ」派だったんですけど、行ってから「ユー、ボランティア行っちゃいなよ」派になりました。

 そんな僕がボランティアをここまで勧める理由を今回僕は書き綴ってみようと思います。

 

1.純粋な心をもった人との刺激的な出会い

 

 上の文を読んだあなたは「かっこつけてんじゃねーぞ、ゴルゥァぁ」と思ったでしょう。確かに僕はかっこつけました。

でもこれは事実です。

就活のためとかやることねえからとか出会い目的~♪っていう輩も確かにいます。

てか大学生なんかそっちのほうが大半でしょう。

かくいう僕もそのうちのひとりでした。

しかし、純粋な心をもってボランティアに従事なさってる方も一定数いらっしゃいます。

彼らにとってボランティアをやるのは朝ごはんを食べることや、呼吸をするのと同意義です。

僕は彼らを心の中で、聖人君子(天使)、もしくは生まれながらの善人と呼んでいます。

この類の人に「なんでボランティアやってるの?」と聞いてみると、

たいていなにばかなこと聞いてんだコイツみたいな顔されるか、真顔で「そこに困ってる人がいるから」という超絶イケメンな答えが返ってきます。

 

ただ、時々、聖人君子のふりをして、女の子の気をひこうとする輩(通称:詐欺師)が潜んでるので気をつけてください。

 

残念ながらこちらも間違いなく一定数潜んでいます。

 

2.賃金のために働くという拝金主義思想が一定期間消える

 

 みなさんはファミレスのキッチンで皿洗いしながら、「この一時間が950円か~(ハア」とか考えたことはありますか?

僕はあります。

てかしょっちゅうあります。

なんか金のために働くってすごいむなしいんですよね、やっぱり。

確かに、僕が皿洗いすることによってその皿をつかってお客さんがファミレスのおいしい食事を堪能できてるのかもしれないですけど、そんなことぶっちゃけ実感できません。

僕は思います。

そんな安い賃金のために働くぐらいだったら無償でも実際に感謝の気持ちを伝えてもらえるボランティアに参加したほうが有意義じゃないかと。

確かに、最初は「なんでただで木を植えるんだ、お人よしかよ!」ってもくもくと木を植えるための穴を掘りながら考えていました。

しかし、少し時間がたつと、このお金=報酬という制度は資本主義社会が生み出した弊害で、人間が労働というものを金のために行うものだと勘違いしかねないものなのじゃないかと思い始めました。

 まだ社会に出て働いていない大学生だからこそ、ボランティアを通じてこの制度に疑問を感じてみることも必要なのではないでしょうか。 

 

3.ともに社会に貢献した仲間との絆

 

 ボランティアを行ったあとは「僕はお金のために、働いたんじゃない!この人たちのためにはたらいたんだー!! ワッハッハ」という気持ちからくる充実感と達成感があります。

 そして、ボランティアをともに協力して行った人とはどんな悪人でも絆が芽生えることでしょう。

そこには仕事などの利害関係を超えた強固な絆が結ばれているはずです。

 

 

                              ~fin~

 

 

 

ちなみに、僕が聖人君子だと思ってた人は

    

穴掘りサボってたらしいです。(本人談)

 

なかなか簡単に見つかるもんじゃないですね(汗)